コラム おいしい沖縄

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津堅美童人参の島・奮闘記(第1話)

津堅美童人参の島・奮闘記(第1話)

こんにちは。
第二回目のお話です。
今回から数回に分けて12月から4月まで収穫がおこなわれている津堅島の人参のお話をしたいと思います。
お野菜は、作る人とそれを運ぶ人それから店頭等で売る人がいてそれを買い食べる人がいます。
作る人から食べる人に繋がるまで沢山の人の関わりがあります。
人と人の繋がりが今の食卓を支えています。
このお話は、津堅島の人参を届けるまでのエピソードを通して皆さんが感じることがあればいいなと思いながら筆を進めています。
昨年、南城市の農家さんからの紹介で人参農家さんを尋ね初めて津堅島渡りました。
津堅の人参は、世界一とよく耳にしていたので『世界で一番美味しい人参と作る人たちは、いったいどんな人なんだろうとか世界一の人参を生み出す大地はどんな大地なんだろう』と心を躍らせました。
うるま市勝連にある平敷屋港からフェリーで30分程で津堅島に到着です。
迎えてくれたのは、
人参農家の源古(げんこ)さん。
源古さんの第一声が『何しにきた?』でした。
私がこれまで産地訪問をした農家さんの反応は、満面の笑顔で『忙しい所よくきたねぇ。』といったような出会いがほとんどだったので『何しにきた?』という源古さんに戸惑いました。
すかさず私は、『人参の話をするために来ました。作って貰えますか?』とひきつりながら答えるのが精一杯でした。
初めての生産者にお会いする時は、いつも期待と不安が交差しとても緊張します。
けれど農家さんの笑顔で緊張が解けるのがいつものパターンです。
今回は、そうもいかず島の案内をして頂いた後、自己紹介や会社の話等、一通りが終わるまで緊張は解けずにいました。
なぜなら、源古さんを始め人参農家さんは、
その間笑顔を見せず、みんな苦虫をかんだような顔なのですから。
次に島を訪れる時は、『人参を作って販売するまでの細かな打ち合わせをしましょう』ということになり、緊張が解けないまま帰りのフェリーの時間となりました。

帰りのフェリーの中で『私、この農家さん達と信頼関係を持ち、人参を扱う事ができるのかしら・・・』とすごく重たい気持ちになりました。
私の緊張と私のどんよりした心をさっしたのか、紹介者である南城市の農家さんが私に『伊佐さん、津堅の人を宜しくね。津堅の人はとても心が綺麗だから大切にしてよ。』と言いニッコリと微笑みを浮かべたのです。
紹介者がそう言うのだから、チャレンジしてみようと思い返し2度目は、私とスタッフで島に向かいました。
2度目の訪問も相変わらず無愛想でお世辞にも歓迎されてるとは言いがたい雰囲気のまま、打ち合わせを終え帰りの時間になりました。
港まで源古さんに送っていただきフェリーの時間を待っていると、源古さんが『うりぃっ!』とレジ袋を私に差し出しました。中には、津堅島特産のイカ墨塩辛とキムチ漬けが入っていました。
そして『次は、いつ来る?』と聞いてきたのです。源古さんの行動にとても拍子抜けした私は、あわてて『お土産、有難う御座います。来週にでも直ぐ行きます。』と応えると『あんたも忙しいと思うけど何度も来て畑も見て、みんなと話してよ。』と言い、少しだけほほを緩めました。
その時、津堅島の人はとてもシャイで表現べたで人見知りをしているだけなんだと感じました。
フェリーを待つほんの少しの時間でしたが、
南城市の農家さんの言っていた
『津堅の人は、心が綺麗だから・・・』という意味が分かり始めた時間でした。
続く

有限会社アグロオーガジャパン
伊佐尚子

2012/04/20