コラム おいしい沖縄

コラム おいしい沖縄

実は泡盛って・・・②

実は泡盛って・・・②

ハイタイ!島ナイチャー嫁のイハヨシコです。前回に引き続き、今回も沖縄のお酒、泡盛についてお話ししますね。前回は泡盛のルーツはタイのラオ・ロンではないか、などいろいろ説があるとお話ししました。ではいつ頃から造られていたかというと、1462年に朝鮮から琉球に漂流した人の文献を見ると、「那覇港内に酒庫があり、三年以上の酒が貯蔵されている」などと記されているそうです。つまりこの頃からすでに琉球王国での泡盛造りがはじまっていたということになります。琉球王国は1429年~1879年ですから、大分初期から泡盛は造られていたのですね。泡盛の歴史は、琉球王国の歴史そのものといえそうです。

さてその泡盛、今は私のような民間人がガブガブ飲んでいますが、実は昔は大切に扱われ、純粋で強いお酒のため薬としても使用され、また江戸時代になり、薩摩藩の支配下になると江戸幕府への献上品としても扱われていたようです。そのため1660年代からは、泡盛の製造は王府が認めた首里城近くの崎山、赤田、鳥堀(現在の首里崎山町、首里赤田町、首里鳥堀町)の三か所の村の住人でのみ許され、王府の徹底した管理の下造られるようになりました。これを首里三箇(しゅりさんか)と呼びます。当時首里三箇には48軒の酒造所があったそうです。実は現在沖縄県内にある酒造所の数は確か48か所だったような...。なんか不思議だと思いませんか。偶然なのかもしれませんが、何かに導かれているようで、私には泡盛の神様が存在しているような気がしてなりません。

では何で首里三箇でのみ製造を許されたのでしょうか。これは首里城から近く管理がしやすかったこともあると思いますが、実は首里には泡盛造りに欠かせない水、それも湧水が豊富にあったからなんですね。その証拠に現在も首里城公園の中に「龍樋(りゅうひ)」という泉があるのをご存知ですか。瑞泉門に上がる右下にあります。石でできた龍の口から今もなおこんこんと水が湧き出ているのです。首里城はご存じのとおり、遠くの海を見渡せるくらいの高台にあるのですが、その龍樋からは地下水が勢いよく流れ出ているのです。え、何でそんな高いところから水が?と思いますよね。どうも珊瑚礁でできた琉球石灰岩に雨水が浸み込み、その岩で水が美しく磨かれ、水を通さない岩との切れ目から湧水として出ているらしいです。この龍樋はかつて琉球王朝時代、王宮の飲料水として使用されていたとのこと(ちなみに泡盛の酒造所の一つ「瑞泉酒造」さんはここから社名をとられたということです!)。また龍樋以外にも首里の麓には至るところから地下水が湧き出でていたため泡盛の酒造所の他、南には豆腐とモヤシ、北西には紙すきの業が繁盛していたといいます。

現在首里三箇所の地域にある酒造所は、瑞泉酒造、瑞穂酒造、咲元酒造、識名酒造の4酒造所です。同じ首里で造られていますが、それぞれに個性的な泡盛が造られています。この4酒造所に限らず、泡盛は皆同じタイ米を使用しているにもかかわらず酒造所によってほんとうに味も香りも全く異なるので、私としては早く48酒造所のすべての泡盛を飲み比べて制覇したいと思っています。一般の流通にのらない手に入りにくい希少な泡盛や秘蔵の泡盛もあるそうなので、いつになることやらですが、泡盛の神様がきっと導いてくださる、そう信じて飲み続けようと思っています。私も含めウチナーンチュはいつも同じ銘柄の泡盛を飲む人が多いですが、たまには違う泡盛、首里の歴史を感じながら泡盛を飲んでみてはいかがでしょうか。

なぎいろカンパニー
イハヨシコ

2012/11/27